コーディネート開始から入院前まで

とうとう明日にはウィングヒルズがオープンですね。とある人から「日曜日一緒に行かない?」と誘われていましたけど行ける状態じゃないんです。
例によって例のごとく金欠(特に県連のエントリー費もあるので)もありますが、最大の理由は骨髄バンクのドナー提供があって、現在運動禁止状態なんです。
提供は終ってますが、傷口が完治してないので現状激しくは動けません
ネタが無いので、暫くの間提供に至るまでについて書いておく事にする。

注意
骨髄バンクを介したドナー行為に関しては守秘義務規定があって、具体的に「○月×日、△病院で骨髄採取しました」の様に提供行為を具体的に公表する事は禁じられています(ドナーとレシピエントの関係を辿って悪用する輩が出てこないとは限らない為)。この為採取近辺の日付等についてはある程度ぼやかして表現します。文面、画像等により日時、場所等が特定できる可能性があったとしても生ぬるくスルーしてやってくださいm(_ _)m

ドナー登録したのは10年以上前(細かい年数は忘れた)、多少若気の至りもあったけどその後ずーっと音沙汰無しで忘れかけてた3年前、1度招集が来たものの1回検査をした段階でコーディネート中止、再び休眠状態になり今年の5月へと繋がる。

5月中旬の某日
ポストにオレンジの封筒が届く、所謂召集令状(迅速モード)ってヤツ。1回目の検査の時そのコーディネートが空振りに終った場合、次の招集の際は1回目の検査時により細かいデータを取得しているので候補になる可能性は高いらしい。早速承諾の返信をする。

5月末の某日
帰宅途中に担当コーディネーターから電話が携帯に入り検査の要請、担当コーディネーターは前回と同じ人だった

6月某日
1回目の検査と同意確認、医師とコーディネーターからくどいくらいの説明、レシピエントから見ればドタキャンは死刑宣告みたいなもんですからそりゃ慎重にもなるわな、でも気持ちは変わらず同意書にサイン、簡単な問診と採血実施。

7月某日
「まだかよ〜」と痺れを切らしていたところにコーディネーターから最終候補に決定との電話、仕事の方が10月から金、土、日休みが土、日休みに戻るので9月までに済ませたかったが仕方がない、上司に報告して休む事を承認してもらう。

8月お盆開け
ようやく最終同意、血縁者の同意人として母に来てもらう。これまで聞いた話だと本人やる気十分でも家族の同意が得られず断念した人も少なくないという。しかし、ウチの母僕と同じく献血300回のつわもの(w、「こんな事でしか世の中の役に立たないのでどーぞどーぞ」とあっさり承諾。

9月上旬某日
最終検査。検尿、採血、心電図、肺活量、胸部X線、血液内科および麻酔科の医師より問診を受ける。問題なしという事で採取にGOサイン
この検査の前1週間、「血液検査のデータで異常値が出ると不味い」という事で1回目の運動禁止期間

9月下旬某日
1回目の自己血採血、診察券を直接診察受付に渡すように一応コーディネーターから電話で聞いていたのにたまたま目に入った自動受付機に診察券を入れたら受付表が発行された。そのまま外待合で待機するも2時間近く経ってもコール無し、「おかしいな?」と思っていたら骨髄バンクから「まだ病院に行ってないんですか?」と電話、改めて受付の係の人に聞いたら担当医に伝わっておらず担当医が駆けつけてきた。担当医からもコーディネーターからからも平謝りされました、勝手な事やって混乱させたの(^^ゞなのにね。この日は400㎖抜かれました。

10月某日
2回目の自己血採血、今回はトラブルもなく200㎖抜かれる
この日より増血剤である鉄剤の服用開始。服用開始後●が注意書き通り黒くて笑った
この日より入院まで(実際には退院後も暫くとなるが)2度目の運動禁止期間に突入、ちょっとストレス


そしていよいよ入院、続きは次回